“なんとなく”を私は大事にしたい

もっというと、言葉にできない『 なんとなく 』をそのままでいさせてほしい、そのままでいることを許してほしい、みたいに思うこともあることに気づいた感じ。全部綺麗に形にするんじゃなくて、ちょっとふわふわしたままで形をおびないのもそれもよしでしょみたいな。

私は多分、曖昧なものって大好きで、いい映画をみたときに「あ〜〜〜なんかわからんけどめっちゃよかった〜〜〜」の時が最高潮にいい気分みたいな。それをここが良かったよねとか語るのもいいけど、ひとりで曖昧さを楽しみたいってことも多いし、感想を語り合うにしても「や〜〜よかったよな〜〜・・・」みたいな背もたれどっぷりよっかかった脱力感みたいな感じぐらいのほうが正直好き。

  

曖昧さが好きっていうと、それで頼られることも大好きだから、仕事上でもお客様の「漠然とした悩みだけど聞いてほしい」とか「なんとなく〇〇についてモヤモヤしてて・・」を聞くことは本当に好き。え、もっと聞かせてってなるぐらい。

どういうことかその曖昧さについて”知りたい”から、そういうときは「これってこういうことですか?」と確認しながら整えることもしていきたい。(これはもちろん相手が言葉にすることを望んでいるときの話。)

曖昧が好きだから、そのままでいさせてほしいときもあれば、曖昧が好きで知りたいから考えていくときもある。 

仕事上、言語化するお手伝いをすることもたくさんあるから、自分の気持ちひとつひとつには意味を持たせて自分でも言語化しないといけないと思い込んでたところもあったなと振り返ってみた感想。でもそんなことなくて、曖昧を曖昧のままでいさせてあげたい感情や考えもあるもので、

特に顕著にでるのが、人間関係が絡むもの。なんで一緒に働いてるの?とかも「え、だって楽しいじゃん」ぐらいなんだよ本当は。「なんで〇〇ちゃんと仲良いの?」って、気が合うからとか好きだからとかそんなもんでしょみたいな。(こう書くと、すごく雑にみえちゃうかもしれないけどな〜難しい)

もちろん関わる人ひとりひとりに、好きなところも尊敬しているところもあるけど、それを言葉にして並べると陳腐になる感覚があるし、変に伝わったりとかその面しか伝わらないのもやだ。(言葉にすることが大事な場面ではちゃんと言うけど!)

 

なにがかきたくなってきたのかわからないけど、曖昧なものが好きで、なんとなくに私は大事にしているものがぎゅっと詰まってる気がしているし、言語化したくないぐらい大事な場合もあるから、それも許しあえるというか、良しとしあえる感じで人と関係を築いていけたらな〜って思った次第です。

よくわからんくなってきたので今日はこんな感じ!終わり!

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